オタク婚活では「Likeが共通の人」でなく「Noが共通の人」を選ぶべきという提案
とら婚公式コラムにおいて、特に「オタク」に関連の深いコラムです

不思議なもんだよな。嬉しいことってーのはすぐ慣れてあたりまえになりがちなのに、嫌なことはたった一つだけ起こっただけでも、ものすごく重く感じてしまう。

たぶん、人は自分自身で嫌なことを何倍も重くしているんだ。


ARIAは人生の道標…。

オタク婚活中の皆様、こんにちは。

先日公開した「結婚前に確認すべき20の事柄、36の価値観ギャップチェック」で多くの好意的なご意見を頂戴しました。ありがとうございます。その中でこんなお声を頂きました。

「見ている作品10個ぐらいずつ出し合うとか入れなくていいんですか?」

当社が頻繁に(特に特に男性に向けて)発していることとして「オタ趣味を共有しようとするな」がございまして、それっぽい情報の入ったものを調べたところ、以下がありました。


「ラブライブ婚」や「アイマス婚」などの『履修コンテンツ婚』をお勧めしない理由
とら婚が炎上してでも「オタ趣味以外の引き出し」を作るべきと言い続ける5つの理由
オタク男性が出すべきではない話題、出すべき話題
モテるオタクとモテないオタク
欠点があること、違いがあることを受け入れる大切さ
男女のコミュニケーションの相違と男女の抱く将来像
なぜオタク男性は男性向けコンテンツを共有したがるのか


ただ上記で挙げていることは、「男女の異性への期待の違い、需要的違い」にフォーカスを当てています。そのため「需要が違うのは分かった。だけど夫婦で共通言語があった方がいいよね?だから自分と同じ作品を好きな異性を求める」と、自分が変わることや新たに作ることを全く考慮しないご意見もあることでしょう。
また、「じゃあどんな観点で選べばいいのか?」と思う方もいらっしゃるかと思います。

そこで、私はまたこのように申し上げます。

婚活では「好きが共通の人」でなく「Noの価値観が近い人」を選んだ方が良いです。

その2つの理由を以下に記述いたします。

簡単に移り変わる「好き」

一つ目の理由ですが、これから申し上げることはある種失礼に当たるかもしれません。申し訳ございません。また便宜上、オタク=アニメ漫画ゲーム好きをメインストリーム的な扱いをしてしまうこともお許しください

まずオタク趣味的な「好き」は、もちろん永続的な気持ちであるケースも非常に多くございますが、しかしながら大半の方の大半の対象に向けるソレは非常に移ろいやすい一時的な感情なのだと、私は考えています。

例えば、子どものころからずっとゴルゴが好きで、最新刊までずっと買っています!のような場合は「好き」がそう簡単に変わることはないでしょう。ただ、そういう方がどれだけいらっしゃるでしょうか。オタク界隈であっても、仕事で接している方々の情報の範囲では多数派ではございません。※例えば歴史やミリタリーと言った、より包括的なものになると、こちらに属することが多いと思います

「おそ松さん」や「とある魔術の禁書目録」で考えてみましょう。どちらも特定の年代を代表する非常に素晴らしいコンテンツです。しかし、当時と今と比較をすると界隈の盛り上がりはいかがでしょうか。。。そうです、今はかなり落ち着いてしまっているんですよね。

「あの時好きだった」はたくさんいらっしゃるかと思いますが、じゃあそれを今求めるかというとNoの方が大半になってしまうことがご理解できるのではないでしょうか。
3か月ごとに推しが変わる ような現象や、中の人が結婚したがゆえにその人自身を推せなくなるような現象も想像しやすいのではないかと思いますし、そもそもその「好き」で、1週間全てのコミュニケーションを賄えるでしょうか?1ヶ月、1年、10年、30年のコミュニケーションを賄えるでしょうか?

その移り変わる「好き」で、「Noの事柄を無視して」人を選ぶのか?「好き」の供給が無くなった時に残る「No」を、また無くなってしまった共通項をこれからどうするのか?という問題が発生してしまうのです。

もちろん共通言語が全くない人とはコミュニケーションが全く成立しないということもございますから、「好き」の対象はより広義、包括的にしていただき、「アニメ」「漫画」「オタク的趣味」のような範囲に近づけるべきなのではないかと私は考えているのです。

そのため、需要的観点でも将来的観点でも「俺の好きなコンテンツを好きな女性と結婚させてほしい」というご要望を、当社は言葉そのままで受け取ろうとはせず、会員様一人一人と活動前のコンサルティングに長い時間を割いているのです。

誰かのNo=簡単に変えられない価値観

その一方誰かのNoというのはどういった事でしょうか。いくつか具体的に挙げると


・子どもが生まれたらエロ本は外の倉庫に隠して情操教育に取り組まないとだめだよね
・いくら推しのイベントがあるからって家計を脅かしたり、家族イベントをないがしろにしてはだめだよね
・人が心から好いている趣味を頭ごなしに否定したり、了解も取らずに物を捨ててはだめだよね
・人が嫌がることを、双方何の了解もなく自分がやりたいだけでやり続けたらダメだよね
・家事分担すると決めたと言っても、仕事や妊娠出産などなんらか大変のときは自分が担わないとだめだよね
・それぞれの自由があるべきで、事前に決めた自由な時間やお金に文句を言ってはダメだよね
・善意から来る相手のオススメをないがしろにしてはダメだよね


みたいなことです(上記、一部相反する意見の例を出しています)。

個人の倫理的、道徳的な部分に紐づくことが多くなるのが「No」の価値観だと私は考えています。このNoの中に、オタク的な価値観が含まれおり、その合致・すり合わせこそが永続的関係に関しては重要なのです。

LikeとNoを比較してみる

好きが同じだとプラスになるかもしれません。好きが異なると…?少なくともマイナスにはあまりなりませんね。
逆に、Noの倫理観が合致せず、例えば「好き」をディスられたらどうでしょうか。…超マイナスになりますよね。

様々な情報に触れ、歳を重ね、環境が緩やかに変わる中で、新たな「好き」が現れないことはありますか?ないですよね。好きはこれから多く作れます。ただ、、、「これは人としてやっちゃダメでしょう」みたいに思っていること、嫌悪対象、、、これらはどうでしょうか。そうそう変えられませんよね。


不思議なもんだよな。嬉しいことってーのはすぐ慣れてあたりまえになりがちなのに、嫌なことはたった一つだけ起こっただけでも、ものすごく重く感じてしまう。


好きを10重ねるよりも、人はたった1の嫌いだけで離別していくものなのです。

だから私はよくこういう事を言うのです。


ベースにする部分を間違えたらだめですよ。共通言語があるって言うのはとても嬉しいことで、相手の魅力になるかもしれません。ただそれは、良識、常識、倫理、性格性質といったベースが合致する二人の上に積み上げていくものです。特定のコンテンツをきっかけにするのはもちろんOKですが、コンテンツで選ぶのではなく、人で選んでください。だからこそ、自分の好きなコンテンツの話だけでなく趣味そのものへの向き合い方や将来の中での趣味の位置づけを話すべきですし、趣味以外のコミュニケーションや大衆の中での一般的デートは欠かせないし、将来像を踏まえた自分自身の役割を考え、その役割を実現するための行動を通じて自分という「人」をアップデートしていくことが重要なんです。


 

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